私は、2018年から、ウクライナのハリコフに、日本から、移住しました。そう後、月日が流れ、2021年9月頃、日にちは、覚えていません。戦争中に、普通のように、日常と変わらず、生活をしていました。15日の深夜3時頃、また空襲警報が鳴り響きました。眠ることもできず、妻と私は、いつものように、離れの納屋に身を隠しました。突然、あたりは、明るくなり、ロシア軍のミサイルが、私達の家の方に飛んでくるのが、見えた瞬間、私と妻は、死を覚悟しました。一瞬に、家に上から下にミサイルが、突き刺さりました。我が家は、木っ端微塵に破壊されました。私の目に涙があふれました。犬、猫、小鳥の死骸が、私の目に入りました。悲しみをとおりこした出来事でした。私と妻は、納屋に逃げたため、助かりました。ウクライナの納屋は、深く掘った納屋のために、防空壕の役目をしました。動物たちは、ミサイルの爆風で、飛ばされて、死んでしまいました。私の脳裏に今もあの情景が、思い浮かびます。今も動物達を何故、防空壕に連れていけなかったのかを悔やんでいます。私は、日本に避難できました。あのまま、ウクライナのハルコフにいたら、いつかは、死んでしまう!そう思い、妻を見捨て、妻は、娘、孫、息子と今もウクライナのハリコフにいます。今の安否は、わかりません。私は、病院に行って診断され、PTSDと診断され、今に至ります。本当に、日本人では、経験できない!経験しました。今も26人が、ウクライナに残っています。この21世紀に戦争体験をしました。

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